喜らくのご紹介

貴船の盛衰とともに

水害を乗り越えた貴船の川床
夏になれば涼を求めて人々がやってくる貴船名物・川床。その歴史は、時にはおだやかに時には激しく流れる川のような歩みでした。

川床のはじまり

貴船の川床のはじまりは、鴨川より新しく大正時代に入ってから。暑さしのぎに茶店が、川へ床机を置いたことが起こりです。今のように料理を楽しむ形式はまだなく、川に足をつけて涼むための場所でした。昭和5年に叡山電鉄が鞍馬まで開通すると、以前に比べて貴船を訪れる人も増加。それからしばらく後、鞍馬山から降りてくる人々に向けて、川床を出すお店は徐々に数を増やしていきます。

三度の水害で流されて

貴船川がおだやかだったのもつかの間。昭和10年、鴨川で五条大橋が崩れ落ちるほどの洪水が、上流の貴船川をも襲います。お店も土砂に押し流されましたが、建て直しの後、昭和22年には川床を、昭和24年には料理も出すようになりました。しかし、昭和25年にはジェーン台風によって、昭和34年には大雨によって、喜らくは計三度流されることとなります。

貴船の川床、京都の夏名所へ

今と比べて当時の貴船川は川幅がせまく、雨で増水すると鉄砲水が流れてきました。それほど勢いが激しかったため、水害の被害も相当なもの。その都度「貴船 喜らく」は、店を構え直してきました。水害を乗りこえた翌年、昭和35年頃になると、新聞、テレビが川床を取り上げはじめます。車の普及で貴船の川床を目当てに訪れる人も増え、お店の数も増えていきました。

そうして現在。貴船の川床は京都の夏名所として、涼風がそよぐ中、貴船が育んだ素材を食す場として多くの人々を迎え入れています。貴船の自然に泣き、助けられてきた歴史の上に「貴船 喜らく」の今があります。

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